30年前の僕へ

僕が始めてマイコンに興味を持ったのは小学校6年生の時だった。

仲の良かった友人Oに教えられたのがきっかけだった。O曰く「マイコンを使えばいろいろなゲームができるんだよ」。

当時は今のような百花繚乱な家庭用ゲーム機はなく、あったのはせいぜい数種類の組み込みのゲームを切り替えて遊べるゲーム機くらいだった。

そんなご時勢に、マイコンとやらを買えば数種類どころか数十種類、数百種類のゲームを遊ぶことができ、さらにプログラムというものを覚えればなんと自分でゲームを作ることもできるらしい。

当時の僕はマイコンに熱狂した。もっとマイコンの事を知りたくて、近所の本屋に行って「月刊マイコン」を買った。パラパラと中をめくってみるとなんだか難しいことがたくさん書いてあるようだったが、カラーページにゲームの画面がいくつか載っていてわくわくした。わくわくしながらも、レジに持っていく時、何か少し大人の世界に足を踏み入れた気分でドキドキしたのを今でも覚えている。

マイコンは小学生の僕にはおいそれと買える値段ではなかった。当時の花形はNECPC-8001SHARPのMZ-80シリーズ。ともに10万円以上する代物だった。

買うとしたらどれがいいだろう…。と毎日毎日飽きずにマイコン雑誌を眺め、MZ-80はTVとカセットデッキがついているけどVIC-1001はTVはともかくカセットデッキはどこについているのかな?写真に映っていないだけで本体の裏についているのかな?とか、PC-8001はカラーは出るけど音は貧弱らしい、MZ-80は音はいろいろ出るけどカラーはどうなのかな?とか、いろいろ想像を膨らませていた。

マイコンが欲しくて欲しくてたまらなくなった僕は、父に交渉することにした。今まで小遣いやお年玉を貯めた全財産(といっても4万円くらいだったと思う)を出すので足りない分を出して欲しい、と。父は「考えておく」と言ってくれたが、実は父の「考えておく」は僕がお願いを忘れるのを待つ時の常套手段だった。そのため念のためしつこくしつこくお願いしたのだが、ついに僕は父がマイコンを買うのに協力してくれる気はなさそうだと分かってしまい、父がいないところでものすごく怒った。

その様子を見ていた母が僕のために口添えしてくれたのか、結局父はマイコンを買うのに不足していたお金を出してくれることになった。

さて次の問題はどの機種を買うかだった。いろいろ悩んだ挙句最終的に候補に残ったのは、サウンド機能を持つがカラーが出るか分からないMZ-80と、カラーは出るが音が貧弱なPC-8001だった。どっちがいいか父に相談したところ、父は両方の広告を見比べて「MZ-80でいいんじゃないか」と言った。「CRTがついていると書いてある。これはきっと『カラーテレビ』の略だからカラーが出るんじゃないか」。CRTが「カラーテレビ」の略ではないことを知ったのはもう少し後のことだった。

とにもかくにも購入する機種はMZ-80に決まった。ただ新品は高すぎて手が出ないので、マイコン雑誌の「売ります買います」コーナーで手ごろな中古品を探すことにした。いろいろ探した結果、八王子の人がMZ-80K2を9万円で売りに出していたのでそれに申し込んでみたところ、幸いに応じていただけた。

マイコンを買いに行くことになっていた日曜日までは本当に毎日が待ち遠しかった。そしてついに日曜日。父と二人で八王子までマイコンを買いに行った。

譲ってくれる方は八王子の駅に車で迎えに来てくれた。その方のお宅でマイコンについて簡単にレクチャーを受けたのだが、その際なんとゲームが数十本入っているというカセットテープを一緒に譲っていただいた。マイコンが手に入るだけでもうれしかったのに、うれしいおまけつきで天にも昇る気持ちだった。

そしてマイコンを手に入れて、いただいたカセットテープに入っていた大量のゲームを友人Oとプレイし、ゲームを自分なりに書き換え(最初は砲台の数を増やすところから)、BASICを学び始め、マシン語を学び、友人Oとともに「将来はプログラマーになりたい」「将来はゲームを作る仕事をしたい」と夢を膨らませながら中学高校に進んでいった。

途中、決してまっすぐな道のりではなかったが、いろいろな経験を積み重ねた中間地点として今日この日にゲームを作る仕事に携わっていてしかもプログラマーとしても腕を揮えている(と思っている)ことを本当にうれしく思っている。そして人生の中で僕と関わりのあった全ての人達に感謝したい。

僕が初めて自分のマイコンを手にした日、それがちょうど30年前の今日。1982年1月31日。30年前の僕、今僕はゲームを作っているよ。

追伸:友人Oは僕より早くゲーム業界に入り活躍している。もちろん今でも僕の大切な友人である。O、僕にマイコンのことを教えてくれてありがとう!